005 田中角栄はもうすでに幹事長に橋本登美三郎、官房長官に二階堂進と決めていた。 「福田を入閣させることには異議がある」とそのことに固執したのは中曽根康弘であった。田中は橋本幹事長、二階堂官房長官を決めて さっそく中曽根の来訪を求めた。組閣に対する意見を田中がただすなり、中曽根は率直にそういい切ったのだ。 「田中政権は佐藤亜流であってはならない。それが福田が入閣すれば亜流政権になってしまう……。庶民大衆の新政権としてイメージはまったく消滅してしまう」 中曽根のいうところは政治の理論からいえばそのとおりであった。 「それに福田にしても ここで入閣したら男が廃れはしませんか?」 中曽根はいい添えた。 この6日夜、首相官邸に呼ばれた大平正芳、三木武夫とも福田の入閣には反対であった。 「あれを入れたら田中内閣は古色蒼然たるものになる……」 大平はいつもの半眼を閉じたような面持ちでいった。 「もし福田君が反主流派になるというならそれでいいじゃないか。われわれが君を助ける……」 こんどの公選では大平派は101票の大台に乗せた。 ― この101票と田中の156票を加えればゆうに過半数だ。なにも怕がることはない。 戸川猪佐武2018/08/29 22:00
006 三木武夫は首相官邸にあらわれたとき その表情が蒼ざめているように思えた。三位といわれていたのが四位で、その票数も意外に少なく69票であった。 いずれにしてもその敗北感が三木を悄然とさせていた。それでも三木は 「日中国交回復を推進すること……これを使命としてぼくはあんたに協力した。田中、大平、三木の三派連合をこしらえた。福田派と妥協したのではその筋が通らない」と整然とその主張を田中の前にくりひろげた。田中も理論的には異議をさしはさむ余地はなかった。 田中は最後に福田赳夫を総理大臣室に迎えた。相変わらず福田の態度は硬かった。田中はなるべく打ち解ける様子をみせた。「あなた自身が入閣して協力……そうお願いはできんもんですか。佐藤さんの意見もあることだ」 田中にしてみれば自分を支える中曽根、大平、三木の反福田感情を尊重しなければならない。かといって少なくとも佐藤体制のもとで行動をともにした福田に、たとえ儀礼的ではあるにしても一度は入閣を要請しないわけにはいかない。 「残念ながら……ない」と福田は不機嫌そうに答えた。 かつて鳩山一郎首相が退いたあとの総裁公選の場面が福田の脳裏に去来していた。 戸川猪佐武2018/08/29 23:00
007 本命と目されていた岸信介が石橋湛山に敗れ去った。それは ながいあいだ本命視されながら田中に敗退を喫した福田と通ずるところがある。 石橋内閣の組閣にあたって岸陣営は「一名も入閣するな」という意見と「できるだけ多くの閣僚ポストを取れ」という意見と二つに分かれた。 岸は外相として入閣した。「臥薪嘗胆という思いを岸は忘れたのか」と批判するものもあった。 ― 岸と異なって自分は入閣する気にはなれない。 福田はその自分の感情をみずから肯定した。 「私は入らない。が、協力はする。具体的なことは総理である君に任せよう」 福田は簡単にそういった。あまり敗北にこだわりたくない、未練がましく文句もつけたくないという心理だった。それはもともと恬淡とした福田の性格からきたものであった。と同時に田中新首相と長い時間、相対していることがやはり胸に痛かったのだ。 ― あるいは自分が向こうの席に坐り、向こうがこちらの席にいたかも知れない……。 不運の思いがきりきりと胸に突き刺さってくるのだ。 田中新内閣の閣僚名簿を二階堂官房長官が記者団に発表したのは 7日の12時半であった。 戸川猪佐武2018/08/30 00:00
008 いつもの組閣、改造の場合は入閣候補を一人一人、首相と組閣参謀とが官邸に招いて就任を申しわたす。正式の発表はそれが終わったあと― という運びである。 田中は橋本幹事長、二階堂官房長官と電話で入閣を求め 諒承をとりつけた。そのあとから新閣僚を招いた。いかにも田中らしいスピーディな運びであった。記者たちに好評であった。しかしそこにつまづきが生まれたのである。 福田派から採った有田喜一と三池信とが最後まで姿をみせなかったのである。 そのころすでに赤坂プリンスホテルにある福田派事務所では 福田派の首脳だけではなく、保利茂たちの周山クラブ、園田直をはじめその派の人びとが会合していた。 「入閣拒否」 とみなが叫びながら昂奮をたかめつつあった。 ようやく有田と三池とは あいついで首相官邸に姿をみせた。 総理大臣室にいって 「ご好意は有り難いが 入閣は固辞します」 と断わった。 田中は当然 しぶい表情になった。新内閣早々の蹉跌である。それに昨夜の福田との話し合いからすれば 予想さえしないことであった。 「やむを得まい」 決断の早い田中はそういい切った。二階堂に 「おれが兼任だ。政治に空白は許されない」 戸川猪佐武2018/08/30 22:00
009 吐き棄てるようないい方であった。 有田、三池の帰りを迎えて 福田事務所では福田と記者たちの会見がもたれた。 「……なんの事前の相談もなく挨拶もなしにだ、有田、三池の入閣を発表するなど非礼な話じゃないか。それにわれわれの票は190票あった。ポストにすれば八閣僚はよこして然るべきだ。それを二人だ、わが友党たる周山クラブ、園田派には一名の閣僚もよこさない……」 福田の語調も激しいものに昂まっていた。消息通は ― 福田本人は承知するつもりでいたのだろうが、保利や園田が突き上げて入閣拒否に持ち込んだのだろう。 そんな想像をめぐらしていた。 ことの原因はどうあれ その場の空気は入閣拒否、反田中に酔っていた。 「近来にないヒットだ!」 「われわれ衆議院80名、参議院40名の福田陣営が横になれば 法案はなにひとつ通らんぞ……」 そんななかで福田はぽっつりと 「わしが総理大臣なら こんなへまはしなかったろう」とつぶやいた。 戸川猪佐武2018/08/30 23:00
010 昭和47年7月7日、田中角栄内閣は発足した。 首相― 田中角栄、法相― 郡祐一、外相― 大平正芳、蔵相― 植木庚子郎、文相― 稲葉修、厚相― 塩見俊二、農相― 足立篤郎、通産相・科学技術庁長官― 中曽根康弘、運輸相― 佐々木秀世、労相― 田村元、建設相・国家公安委員長・首都圏整備委員長・近畿圏整備長官・中部圏開発整備長官― 木村武雄、自治相・北海道開発庁長官― 福田一、官房長官― 二階堂進、総務長官・沖縄開発庁長官― 本名武、行政管理庁長官― 浜野清吾、防衛庁長官― 増原恵吉、環境庁長官― 小山長規、国務相― 三木武夫 幹事長― 橋本登美三郎(田中派)、総務会長― 鈴木善幸(大平派)、政調会長― 桜内義雄(中曽根派) のち、副総理― 三木武夫、郵政相― 三池信、経済企画庁長官― 有田喜一 副総裁― 椎名悦三郎(椎名派) 矢崎総一2018/08/31 00:00