514 「これでは公取委を中心にした官僚統制経済が行われる」 「もしこれが行われれば 日本の大企業は分割されて小企業に転落し 国際競争力を失う。輸出も低落し 日本経済は沈没してしまう」 「大体この改正案は資本主義経済を崩壊させるものだ」 といった意見が澎湃として湧き上がってきたのである。 その風圧の前に 三木も折れざるを得なくなった。結局、独占禁止法改正法案は「通産大臣の指示によって」という文句を挿入することで公取委による企業分割、原価公表をチェックできるように内容が修正された。河本通産相が 「この程度の案ならば 成立させても差し支えはない」と洩らすほど改正案は後退してしまった。野党側は 「これでは折角の改正法案が骨抜きになったも同然だ」 と三木の腰くだけを非難した。 この独禁法改正案は自民党の反主流派が修正案にも意欲を示さないまま 参議院で審議未了となって流産に終わったが、この一件は三木首相の権威を失墜させる結果となった。後々 三木首相が反主流派から 「指導力が欠如している」 といわれる理由の一つになり、また野党側からも 「三木首相は口先だけで何もできない」 と不評を浴びせられることになるのである。 戸川猪佐武2019/02/17 00:00
515 それに公職選挙法の改正、政治資金規正法の改正にしても、その内容が政治資金や選挙を浄化するということに急であり過ぎたために 自民党内の反響は必ずしもよくなかった。 こうしたことが ついに椎名をして三木おろしに走らせたのである。 椎名がこの三木おろしの件を密かに持ち出したのは、ロッキード事件が発火した2月の下旬、赤坂の料亭での賢人会の席であった。この会は久しい以前から椎名と前尾繁三郎、灘尾弘吉が月一回 あるいは二か月に一回、顔を会わせる懇談会であった。この席には時として田中派の二階堂進、無派閥の小坂徳三郎、あるいはまた河野謙三参議院議長などがゲストとして招かれることもあった。 2月下旬のこの会合で、椎名は前尾、灘尾にその胸のうちを話した。 「三木君を退陣させにゃいかんよ。どうも三木君の思想動向をみていると、ぐんと左に寄り過ぎているよ。独禁法などがいい例だ。究極的には三木君は保革連合を図るつもりではないのか。そんなことをしたら保守勢力はもうおしまいだ。こんな危険な人物を いつまでも総理総裁として置いておくわけにはいかん」 椎名の言葉は かなり激越なものがあった。 戸川猪佐武2019/02/17 22:00
516 前尾が 「しかし三木君を “神に祈るような気持ち” で総裁に選んだのは、あなた自身じゃなかったのかね」 というと、椎名は 「まったく、わしも今になって不明を恥じているよ」 と吐いて棄てるようにいったものだ。 ー政権は保守本流に返さにゃならん。 それが椎名の今の考えだった。椎名の感覚からすれば、三木はあくまで保守の傍流であった。 戦後、保守勢力の中で永きにわたって政権の座を占めてきたのは、吉田茂とその自由党の流れであった。吉田はその自由党の中に 池田勇人、佐藤栄作、あるいは大平正芳、前尾繁三郎といった官僚出身の政治家を組み込み、政治家として育成し 彼らをして保守本流に仕立て上げた。いわゆる吉田学校をして保守本流としたわけである。学歴は持たないにしても 田中角栄もその一員として有力な存在であった。 一方、三木武夫は戦後、国民協同党を率い、一時期、片山哲の社会党、芦田均の民主党と組んで一年八か月ほど連立内閣を形成、吉田自由党とは対立する関係にあった。 吉田の黄金時代には三木は国協党を率いて苫米地義三を委員長とする国民民主党と合同した。中曽根康弘もこの民主党にいた。 戸川猪佐武2019/02/17 23:00
518 民主党は追放解除組を迎えて重光葵を総裁とする改進党になり、その後、自由党の吉田派と分裂した鳩山一郎、岸信介らと組み 鳩山を総裁とする日本民主党を結成した。 この鳩山民主党が吉田内閣を退陣に追い込んで政権の座についたのは 29年の12月であった。だが一年を経ないうちに この民主党は、吉田から緒方竹虎に総裁が替わった自由党と合同して 今の自由民主党を結成するに至ったのである。三木はこの保守合同に最後まで反対した一人であった。 鳩山内閣が二年続く間、三木は主流派の座を占めたものの、岸信介が政権の座について以来、反主流派として自民党の一隅に追いやられていた。 このように三木はその政治生活のほとんどを 吉田系本流に対して反主流に身を置いてきた。それが ー三木は保守の傍流でしかない。 という評価の理由にもなっていた。これに対して三木は ことあるごとに 「政党政治の時代においては党人政治家こそが保守の本流をなすものである。従って自分こそが本流なのだ」 と反論してきたものの 三木派そのものが自民党の中では小派閥にしか過ぎない。現実にはその力関係において傍流としての道を歩まなければならなかったのである。 戸川猪佐武2019/02/18 00:00
519 その三木が今、政権の座について同じ傍流の道を歩いてきた中曽根と共に主流派を形成しているのである。椎名にすれば、傍流の人間には やはり傍流の政治しかできんー という思いから、じっとしていられなくなった。 椎名は密かに福田、大平に会った。また田中角栄をも説得して三木おろし工作を始動させていった。福田、大平にしても焦りがあった。49年の田中退陣の後、椎名裁定による三木後継をのんだのは ー三木総理総裁はあくまで暫定措置。 という計算があったからだ。 その三木が既に一年有余、政権に坐り続け長期政権の様相を呈し始めている。それは福田、大平にとって愉快なことではなかった。また更に三木がロッキード事件の解明を大旆として掲げ、長期政権を目論むような態度に出ていることも福田、大平にとっては我慢しかねるところであった。 三木政権が長期化することは、それだけ自分たちの総理総裁の目がなくなっていくことを意味する。それで共に椎名の提案する三木おろしの話に乗ったのである。 ところが密かに進められるべきこの工作は、根本龍太郎が読売新聞の記者に洩らしたことから、同紙のスクープ記事として暴露されてしまった。 戸川猪佐武2019/02/18 22:00
520 ひとたびこれが表面化すると、世論が敵に回った。 「三木おろしは 三木首相のロッキード事件解明を妨げようとするロッキード隠しではないか」 というのであった。 思いがけない世論の反撥にあって椎名はたじろいだ。反対に三木は勢いを得た。 「世論は僕の内閣を支持している。また僕の内閣にロッキード事件の解明を求めているし、党の近代化を要求している」 三木はそういって強気の構えをとった。といっても三木にも弱点があった。福田、大平とも三木内閣の重要閣僚である。真っ向から喧嘩をすれば、内閣の内部崩壊を招きかねない。 三木は例によって ねっちりと福田、大平を説得した。福田、大平も「今は時期が悪い」と判断して軟化した。椎名が口火を切った三木おろし工作は、うやむやのうちに幕が下りてしまったのである。 再度の三木おろしは一陣の突風から強風へ、更に台風へと拡大されながら 進路を間違いなく倒閣に向けて進行し始めた。反主流各派が連絡、打ち合わせの会合を重ねるたびに、それは膨脹し前進していった。 ーいよいよ 三木おろしの時期がきた。 そのように福田赳夫が意を決したのは8月初めのことであった。 戸川猪佐武2019/02/18 23:00
521 もちろん田中逮捕以後、赤坂のプリンスホテルで開かれる福田派の総会でも 幹部会でも 日を追って ー三木をおろして福田政権を作れ。 という意見が急速に昂進し始めていた。それはまた灘尾や有志議員懇談会、あるいは田中派、大平派の動向と相乗して いよいよ大きく強いものへと膨れ上がりつつあった。 「御大……もう徒らに待っている時期ではありません」 熱っぽく福田に決断を促したのは福田派の代表世話人である園田直であった。 「三木をおろして福田政権を樹立する好機至れりです」 話に熱を帯びてくると園田のややしわがれた声は熊本訛が強まる。「先生」を「しぇんしぇい」といい「ありません」が「ありましぇん」という発音に変わる。その園田の話を承けて福田も 「わが輩も考えていないわけではない」と答えた。自分をわが輩と称するのは福田の癖である。 福田にしても先の三木おろしがうやむやに終わって、それで何もかも断念したわけではなかった。密かに ーやがて機を捉えて三木をおろす。 そういう思いは抱懐し続けてきた。ただその機が ー田中が逮捕された今が妥当なのか? この辺りを暫く模索する心境で 自ら確然たる結論は出していなかったのだ。 戸川猪佐武2019/02/19 00:00
522 それは官僚出身者特有の慎重さからでもあったし、反面 大胆に行動できない性癖からでもあった。としても自派はもちろん、反主流派の間に三木おろしの火勢が強まっていくのを目のあたりにし、福田の内側にも ー今が好機か。 という思いが段々と凝結してきていた。その福田を園田が説得にかかったのは8月5日の夜、赤坂の料亭であった。 それでもなお福田は慎重に構えて 「三木君をおろせると思うかね?」と園田に確かめた。先の三木おろしの失敗という苦い経験があるからであった。園田は福田の懸念するところを察して こう説明した。 「いけますよ。先の場合とは全く条件が違います。あの時は……まだ田中逮捕ということもなく、ロッキード事件解明の半ばでした。ですから三木が事件解明まで政権担当といえば、世論もそうだと応じて三木に味方した。われわれも反論が難しかった。しかし今は違います。三木でなくても解明できるということが判然としてきました」 「そうだな。もう三木おろしはロッキード隠しだなどとはいわれまい」 「それにこの12月には衆議院議員の任期満了で、途中の解散の有無は別として とにかく総選挙でしょう。 戸川猪佐武2019/02/19 22:00