034 >>20 1993年のちに党国対委員長になった穀田恵二氏の本部長として市会議員から衆議院議員にトップ当選させる。 ③その後、家庭の事情でかもがわ出版や立命館に奉職。立命館で管理職となった直後に妻が倒れ精神障害一級となる。新しい仕事を覚えることと妻の介護の両立を追求するという困難に遭遇。そのため党活動は最小限にとどまらざるを得なかった。ところが15年前、居住地で共産党後援会の再建の取り組みが始まり協力し、府下最大の後援会(200名)の会長に祭り上げられた。私の家で後援会役員会を開催してきたが、全国的な労働組合の委員長経験者2名、党の県副委員長経験者が1名いたので、レベルの高い討議となった。またそのころから京都高齢者大学校(約1000名の受講者)の副責任者となり時事問題の講義を担当するようになった。そうした経過の中で私は専従時代に感じていた🔻共産党の問題点について改善されるどころか、より一層、酷くなっていることに気が付き、事あるたびに志位委員長をはじめとする三役など7名の幹部に長文(10000字程度)の手紙を送って来たが返事は無かった。 匿名さん2025/02/25 07:37